140字で収まりそうになく、でもこの気持ちはどこかに置いておきたいと思ったので何も考えずに書く。
日付変わって3月12日になってしまったが、昨日、やなみんが遠いところに行ってしまった。結局映像では観なかったけど、後悔はない。カンガルやJ=Jは元々それほど観てこなかったからね。特にJ=Jはデビュー曲『私が言う前に抱きしめなきゃね』を聴いたときの戦慄は今でも憶えている。これは応援したら抜け出せない。沼だ。最大音量の警報音が脳内で鳴り響く。すぐさま心のスイッチをカットした。今、久々にMVを見返すと、やはり今に比べればダンスは拙く、研修生感がどことなく残っているね。楽曲の良さと宮本の力量でなんとかバランスを保っている感じだ。それでも僕は、このグループにハロプロの未来を感じた。そしてその目に狂いはなかった。今はアンジュやつばきの勢いが分かり易く感じるが、芯の強さ、個々の強さでは決してアンジュにひけは取らないだろう。最近油断するとどうしても惹き込まれてしまうことが多いが、なんとか平静を保つために踏ん張っている。
カンガルは正直すまん、記憶にない。
昔の映像を辿ったらももちが居なかった。
船木とともに新メンバーとして呼び込まれたときは、もりとちのパフォーマンス含め笑いが止まらなかったな。
僕はおおよそ「なんか変なもの」が好きで、モーニング娘。だっていまでこそ半分真面目にウォッチしているものの、ASAYANオーディションからの流れで見ているから、いつでも僕の中の評価基準は「面白いかどうか」なんだ。指さして笑いたい存在。それがハロプロ(元々は娘。)なんだ。
そして、やなみんは間違いなく「変」で「面白」かった。
J=J兼任は驚いたな。
いつの頃からか洗練されていったように見えたのは、きっと今回の卒業を見据えた瞬間があったんだと想像する。
で、僕はこの程度のファン?なんだよ。
ファンでもないか。
そんなやなみん推しではない自分のこの想定外の悲しみの重さが不思議でたまらない。
ふと、ハロコンの壇上でももちがやなみんのおでこを叩くシーンがフラッシュバックする。困り眉がかわいい。でもそれだけが理由ではない。きっと、彼女がももちだけでなく、多くのメンバーやファン達から愛された重さが伝わってくるからなのだと思う。愛される才能。そしてその愛情を観るものにフィードバックさせる事が出来る能力。なんとアイドルとして理想的なことか。頭の良い子だし、だからこそももちからあれだけの寵愛を受けたのだろうが、それが成長の早さに繋がったのだと思うと複雑な気持ちだ。
やなみんがハロプロから去る。
今はまだ現実味がない。
きっと普段と変わらない明日がやってくる(日付が変わってしまったので正確には今日だが)。
朝起きたら何が変わっているのだろう?
やなみんて本当にいたのかな?
こういうことが何度も繰り返されるからハロプロを真面目に応援したくないんだよ。
斜に構えて適当に指さして笑っているくらいがちょうどいい。
やなみん、お疲れ様でした。
いつもありがとう。
いままでありがとう。
やなみんのこれからの人生を応援しています。