ハロー!プロジェクト大好き日記。

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ドラマ「武道館」のラストシーン

先日3月26日に放送されたドラマ「武道館」をFODで視聴した感想です。

ドラマのラストはこんな感じ。碧をのぞく3人が待つ武道館に愛子が登場する。どういった選択をしたのか、その表情からは読み取れないままシーンが終わる。そして12年後。ハカセが当時を思い出したかのように、愛子の謝罪動画を通して、恋愛を選んだことを知る。

ドラマという映像作品のため仕方がなかったかもしれないが、「動画」という分かり易いギミックに拘った事で、少しだけ意味合いが変わってしまったのではないかなと思う。

原作で愛子がほぼ同じことをいうシーンがあるが、ファンへの謝罪ではなく、るりかに対してだった。「動画」というファンへのメッセージという形をとれば必然的に「謝罪」にならざるを得ない。その結果、「悪い事をした罰として辞めます(夢を諦めます)」というなんとも救いようのないバッドエンドになってしまった。

サイトに掲載されたプロデューサーのインタビューでは「今や恋愛禁止は過去のもの」と他人事のように語られている。時代が違えば何てことなかったのにね…残念、と。

そうだろうか?

愛子は本当に残念だったのか?時代が生んだ犠牲者だったのか?

原作から抜け落ちた要素が2つある。「選んだことを正しい選択にするしかないこと」と、12年後のエピローグ「15周年同窓会」のシーンだ。

原作において愛子がるりかに語るのは「私はこう決めた(こう思う)」であって謝罪ではない。るりかが「分からない」と言って拒否するのもまた、るりかの選択なであり、どちらが間違っているとか、良い悪いということではない。

「恋愛禁止は過去のもの」のくだりも、単にルールが変わったことではなくて、そういった時代によって考え方や解釈は変わっていくもの、決まっていないものなのだから、今、Now、自分が正しいと思ったことを「選んで選んで選び続けて、正しかった選択にするしかない」ことが重要なのであり、それだからこそラストの「15周年同窓会」で武道館のステージに立ち、12年かけて正しい選択にしたという結末が生きてくるのだと思う。

「動画」にする必要があったのかなあ。もっといえば言葉にする必要もなかったのでは。最後に武道館に立つシーンを入れるだけでまったく違った結果になったのではとつくづく残念に思います。


結論:かりんちゃんさんかわいい。

たくさんの人の前で、歌ったり、踊ったりするのは、本当に楽しかった。
けど、だんだん、してはいけない事が増えてきて、
誰かの頭の中の自分を生きてるような、そんな気がしてきたんです。
それは、私のなりたい私じゃなかった。
そんな風に、悩んでたとき、私の事を、素直に好きって言ってくれる、
その人の気持ちにだけ応えたいって、思っちゃったんです。
ごめんなさい。
武道館は、私の夢でした。
でも、そのステージに立つ前に、私は、アイドルではなくなってしまったみたいです。

[フジテレビ「武道館」最終話]

「私ね、NEXT YOUが悪く言われるたびに、考えてたの」
「悪く言ってくる人の頭の中にいる自分って、どんなだろうって」
(略)
「それは、私のなりたい自分じゃなかった」
「それに、私が昔から好きだったアイドルとも、違う気がした」
「そしたらね」
「私のことを好きだって言ってくれる人の頭の中にある欲望に応えたいって、思っちゃったの」
「るりか、いつも言ってるよね。アイドルは夢を売る仕事なんだから、人間らしいところを見せちゃダメだって」
「でもね、夢って、叶ったら幸せになる人がいるときに使う言葉だと思うの、私」
「るりか、応えすぎたらダメだよ」
「私たちに、こうすべきだ、こうすべきだって言ってくる人の頭の中にばっかりいたら、ダメだよ」
「正しい選択なんてないんだもん、どこにも」

[武道館/朝井リョウ]

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